宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン・バウティスタ・ミュージアム=通称サン・ファン館)
2003年1月2日


 ダンナの実家のすぐ近くにあり、帰省したときは近くの釣り場に遊びに行く前にトイレを借りるために寄るくらいしか縁のなかったサン・ファン館(すみません)でしたが、一度くらい見てみようよ、ということで入場料1千円(二人で計2千円)を払って入ってみました。
 
 ↑上の写真が復元されたサン・ファン・バウティスタ号です。この帆船は仙台藩主伊達政宗公によって建造され、支倉常長他180名余りを乗せて慶長18年(1613年)にヨーロッパに渡った船で、宮城県石巻市の月の浦(月浦)から出帆したということです。伊達政宗公は日本国内でのキリスト教の布教を条件にメキシコとの通商を推し進めようとしており、欧州との貿易航路を確立した後はローマ法王の庇護のもとで幕府を倒して果ては自分が日本国皇帝になるのだというような大きな野望を持って支倉常長らを派遣したらしいのですが(そういう説がある)、支倉常長は結局その目的を果たすことはできませんでした。彼が1620年にやむなく帰国する時には日本は既に徳川幕府によって禁教令が布かれており、正宗公の夢は露と消え、常長もまた帰国して2年後には病没しています。
 
 サン・ファン・バウティスタ号は木造洋式帆船で、当時の建造水準としては世界的にもトップレベルだったそうです。その建造技術は遭難して月浦に流れ着き伊達政宗公に助けられた南蛮人ビスカイノらの協力により得たものでした。
 
 サン・ファン館のなかに入るとまず目に入ってくるのは伊達政宗公と船の建造を手伝ったらしい南蛮人たちのロボット。彼らが動いて当時の時代背景やいきさつなどを説明してくれます。その他、当時のゆかりの品などの展示室や支倉常長のロボットが胸中を吐露するシーン、帆船の建造技術を紹介するさまざまな展示物やライブラリーがあり、順路を追っていくと復元されたサン・ファン・バウティスタ号へとたどりつきます。
 
 船のなかは探検できるようになっており、支倉常長と司令官ビスカイノのキャビン、船長室などを経て当時の水夫が海の上でどんな風に生活していたかを人形を展示して紹介しています。びっくりしたのは支倉常長とビスカイノの使っていたベッド。すごく小さくて身体を折り曲げなければ寝られないような大きさのものでした。船の大きさも180人以上の人が生活するには小さいのではないかと思います。いくら当時の人が現代人より小さかったといっても、ねえ。限度ってもんがあるでしょ。
 
 このほか、シミュレーションシアターというのがあって、それを見ればサン・ファン・バウティスタ号の航海についてもっと詳しくわかったのでしょうが、ロッシを伴っていたのでこれは断念しました。ヤツめ、どうしたのかバッグのなかでいきなり「ワン!」と吠えたのです。ここ実はワンコ禁止なんだよね。お静かにねがいますよ、ロッシ君。
 
 感想としては、なかなかおもしろかった。船にまったく興味がない人には退屈かもしれませんが、男性や男の子だったら十分満足するのではないでしょうか。ダンナは1千円以上の価値はあったと言ってました。私も普段はこういうのに自分から足を運んだりすることはないのですが、今回は結構見ごたえがあったと思いましたよ。
 
 興味のある方は http://ww51.et.tiki.ne.jp/~santjuan/ へどうぞ。ダンナいわく、帆船が好きな人だったら是非一度は実物を石巻に見に行って欲しいなぁとのこと。へぇ〜、ダンナにしてはめずらしく、かなり満足したってことなのね。それとも元石巻市民としての発言なのかしら。
  
                                
←この日は小雪がちらついてすっごくさぶかった。
 
 というか、埼玉から行ったウチらにとってはかなり寒かったです。
 みて、この寒そうなカッコ。


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